名古屋市女子大生誘拐殺人事件の比較 P2(捜査)

捜査
事件当日の2日夜、A子宅に、後に木村と判明する男から「娘を誘拐した。現金3000万円用意しろ。警察に言うと娘は生きて帰れないぞ」との脅迫電話があったことから、愛知県警察捜査一課・港警察署は、身代金目的誘拐事件とみて、特別捜査本部を設置し、極秘捜査を開始した[報道 2]。途中からはA子の親族を装った捜査員が電話で交渉に当たるなど、警察はA子の安全を最優先に考えつつ、懸命の捜査を続けた一方、A子の家族も捜査に協力し、失踪現場の近鉄戸田駅付近で、A子の顔写真などを印刷した、目撃者捜しの新聞折り込みチラシを計9000枚余り配布した[報道 2]。しかし、6日夜から犯人からの連絡が途絶え、わずかな遺留品からも手掛かりが得られない上、事件から20日以上経過しても有力な情報提供は得られなかった[報道 2]。そのため、事件発生から25日目の12月26日午前7時、愛知県警はA子の家族の了解を得て、被害者の安否・犯人とも不明のままの誘拐事件としては異例の公開捜査に踏み切った[報道 2]。特捜本部は、犯人が名古屋市内のほか、三重県桑名市周辺からも電話してきていることなどから、隣接する三重・岐阜両県警をはじめ、警視庁など10都府県警の応援を求め、広域捜査態勢を取り、被害者の救出、犯人の割り出し・逮捕に全力を挙げた[報道 2]。

最初の脅迫電話が2日午後8時15分頃にかかってきた直後、家族からの110番通報で捜査を始めた愛知県警は、犯人は「A子宅に多額の預金があるのを知っている」「A子が10月6日、『中日新聞』読者投稿欄を通じて、英語の家庭教師のアルバイトを希望した事実も調べてある」「名古屋市港区・海部郡など、愛知県尾張南西部の地理に明るい」「名古屋弁、岐阜弁、三重弁、関西弁といった方言を交えた言葉遣いをする」などの点を確認した[報道 2]。これらの点から、愛知県警は犯人像を「愛知県尾張周辺出身、A子宅の事情を知る30歳代から40歳代の者」と見た[報道 2]。また、犯人の動き、大掛かりな犯行計画などから、共犯者がいる複数犯の可能性も想定していたため、この段階では木村の単独犯であることは把握できていなかった[報道 2]。それまでの捜査では、2日午後7時10分過ぎ、戸田駅から北約300mの路上に白い乗用車が停車し、体格の良い男が車内に若い女性を引きずり込み、女性が悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、車は同駅方面に走り去ったという光景を、近隣住民の主婦が目撃していた[報道 2]。主婦は車から離れた距離から目撃していたため、この女性がA子とは確認できなかったが、犯人との待ち合わせ時間に近いことから、特捜本部は事件との関連性を調べた[報道 2]。また、戸田駅周辺では事件直前、大学生2,3人の自宅に「英語教材のことで話がある」との不審な電話がかかり、うち1人は同駅に呼び出されたことも判明した[報道 2]。これらの手口は、A子を誘い出した手口と酷似していたため、特捜本部は英語教材業界の聞き込み捜査も進めた[報道 2]。犯人が要求してきた3000万円は、2年前の1978年(昭和53年)5月25日、A子の父親が運転し、A子とその母親(当時44歳、小学校教諭)が同乗していた乗用車が、別の乗用車と衝突し、約1m下の農業用水に転落、A子の母親が水死した交通死亡事故を受け、翌1979年(昭和54年)6月,7月に、自動車賠償責任保険(自賠責保険)などから支払われた保険金と同じ額だった[報道 2]。A子の父親は、同じく小学校の教諭だった愛妻の死という「悲劇のお金」に手を付けようとせず、事件まで銀行に預けたままだった[報道 2]。

木村は事件発生から50日目の、翌1981年(昭和56年)1月20日に逮捕され、同年5月に被害者の遺体が発見された[報道 4]。

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