名古屋市女子大生誘拐殺人事件(なごやし じょしだいせい ゆうかいさつじんじけん)は、1980年(昭和55年)12月2日夕方、愛知県名古屋市在住の女子大学生(当時22歳、金城学院大学3年生)が、元寿司店員の男・木村修治(きむら しゅうじ)に誘拐され[報道 2]、殺害された身代金誘拐殺人事件である。
名古屋市女子大生誘拐殺人事件の概要:
場所 日本
愛知県名古屋市
日付 1980年(昭和55年)12月2日
概要 男が愛人との生活費・ギャンブルで多額の借金を抱えたことから、身代金目的で女子大生を誘拐し、首を絞めて殺害、遺体を木曽川に遺棄した。
攻撃側人数 1人
死亡者 女子大生(当時22歳、金城学院大学3年生)
犯人 木村修治(きむら しゅうじ)
犯行当時30歳の元寿司店員、1950年2月5日生まれ[書籍 1]、1995年12月21日死刑執行、45歳没[書籍 1][報道 1]
対処 逮捕・起訴
刑事訴訟 死刑(執行済み)
管轄 愛知県警察
死刑囚(木村修治)
本事件の犯人で、刑事裁判で死刑が確定、執行された元死刑囚・木村修治は、1950年(昭和25年)2月5日[書籍 1]、名古屋市内で次男として生まれた[判決文 1]。1995年12月21日、法務省(法務大臣:宮澤弘)の死刑執行命令により、収監先の名古屋拘置所で死刑が執行された(45歳没)
事件直前
1980年11月25日、多額の借金を抱えて追い詰められていた木村は、愛人宅で読んだ『中日新聞』の告知欄に、金城学院大学の大学生が家庭教師の働き口を求める記事が掲載されているのを見て、同学に通う学生は資産家の娘であることを知っていたことや、まとまった金が欲しいと常に考えていたことから、同学の大学生を誘拐し、その親から身代金を奪い取り、借金の返済に充てることを思いついた[判決文 1]。木村はその記事を掲載した女子大生宅の電話番号を調べ、同月28日朝、名古屋市内の公衆電話から同宅に電話し、応対に出た女子大生を誘拐しようと考えつつ、家庭教師の依頼を装って女子大生を呼び出そうとしたが、その女子大生からは「距離が遠すぎる」という理由で断られた[判決文 1]。そのため木村は、家庭教師の依頼に応じてくる別の同学生を誘拐すべく、直後に愛人宅から、同様の告知板欄が掲載されている『中日新聞』数日分とともに、電話帳・名古屋市区分地図を借り、自宅の寿司屋に持ち帰った[判決文 1]。
木村は翌11月29日夕方、寿司屋で仕事をしていたところ、競輪・競馬のノミ行為を申し込んで約240万円負け、借金した相手である、ノミ行為の胴元の男から、電話で借金の返済を催促された[判決文 1]。さらに同日午後9時頃には、男が多数の仲間を連れて寿司屋に押しかけ、木村に支払いを強く要求したため、木村はその場で、当てもないまま「12月3日までには支払う」と約束することを余儀なくされた[判決文 1]。また、木村はこの他にも、別のノミ行為の胴元、大口の借金先からも、12月初めには借金を返済するよう約束しており、早急に約500万円ほどの金を工面する必要に迫られていたことから、改めて「金城学院大学の女子大生を誘拐して、その身内から身代金を奪おう」と決意した[判決文 1]。
以前のターゲットに電話した際、闇雲に電話をしたことから断られていたため、木村は誘拐方法・その後の処置などを考えた[判決文 1]。その結果、以前観たことのある映画『天国と地獄』や、高速道路を利用して身代金を奪った事件があることなどを思い出した木村は、それらを参考にしつつ、「同学の学生に『家庭教師を依頼したい』と嘘の電話をかけ、適当な待ち合わせ場所を決め、自分はその付近に住んでいることにして誘い出し、自宅に案内する名目で自動車に乗せる」、「その後はすぐに脅迫電話をかける必要がある」、「後日の逮捕を免れるため、直ちに被害者の首を絞めて殺害し、遺体は発見されないように川に沈める」、「身代金は高速道路の高架上から下に投下させ、安全に奪い取る」などの犯行手口を考えた。
事件の経緯
そして12月1日午後、寿司屋店内にいた木村は、以前持ち帰った『中日新聞』告知板欄から、英語の家庭教師の働き口を求めていた、名古屋市港区在住の金城学院大学文学部英文科3年生の被害者A子(事件当時22歳)を選び出し、誘拐・殺害の標的に決めた上、電話帳などでA子の父親(同市内の小学校教諭)宅の電話番号を捜し出し、午後6時頃、A子方に電話した[判決文 1]。その際、木村はA子宅の電話番号を調べようと、A子一家の親類・A子宅の大家に電話したほか、東名阪自動車道から現金投下の手段を用意するなど、周到な犯行計画を立てていた[報道 2]。
電話の応対に出たA子に対し、木村は「堀江」という偽名を使いつつ、自己の身分を「A子宅近くに住む中学1年生の父親」と偽った上で、「子どもの英語の家庭教師を依頼したい」と嘘を言い、これを承諾したA子と、翌2日午後6時15分ごろ、A子宅近くの中川区の近鉄名古屋線戸田駅前の公衆電話ボックスで会う約束を取り付けた[判決文 1]。
翌2日、木村は寿司店を休業し、愛人宅近くの名東区内にある雑貨屋で、A子を絞殺するのに使用するロープ2本を購入したが、一方で殺人への恐怖から迷いも生じ、「A子を殺害せずに金を作りたい」とも考えた[判決文 1]。同日午後3時過ぎごろ、木村は同市中村区の名古屋競輪場に出掛け、手持ちの金約20万円をつぎ込み、最後の賭けを試みたものの、すべて負けた。このため、木村は「計画通りA子を誘拐して身代金を得るしかない」と改めて決意し、競輪場を出た後、自分の車である日産・バネットを運転し、戸田駅前の公衆電話ボックス付近の下見をした[判決文 1]。さらに、その付近の農道を走り回り、付近に民家がないことを確かめた木村は、殺害場所をこの農道上に決め、その後は中川区内のカー用品店・スーパーマーケットで、遺体の梱包用のレジャーシート・ロープなどを購入し、あらかじめ雑貨屋で購入していたロープを、車の運転席ドアにあるドアポケットに入れるなどして、犯行の準備を整えた[判決文 1]。その後、待ち合わせ時間まで付近のパチンコ店で時間を潰した木村は、午後6時15分頃、自車を運転して、戸田駅駅舎脇に設置されている公衆電話ボックス前に、約束通りA子が来ているのを確認した上で、同駅から南に約50mの駐車場入り口付近に車を駐車し、助手席側ドアをロックし、車内からドアを開けられないように細工をした[判決文 1]。
木村は徒歩で同駅前に赴き、A子に「A子さんですか、堀江です。車で来ていますから車に乗ってください。終わったらまたここまで送ってきますから」と嘘をつき、その言葉を信じたA子を駐車場まで誘い出し、助手席に乗車させた[判決文 1]。A子が車外に脱出することを困難な支配下に置いた上で、木村は車を蟹江町方面に走行させ、A子の安否を憂慮する近親者らから身代金を得る目的での誘拐を遂げた(身の代金目的拐取罪)[判決文 1]。
木村は誘拐したA子を、その意図に気付かせることなく、あらかじめ決めておいた殺害場所に連れて行くため「こちらからでも行けるのですか」などと不審に思うA子に対し、「国道に出ていけますよ」と騙して安心させ、午後6時25分頃、誘拐現場の駐車場から南西約800m離れた中川区富田町内の、民家のない農道上で停車した[判決文 1]。木村はそのまま、「ちょっと待ってくださいよ」などとA子に声をかけつつ、運転席のドアポケットに隠していたロープを引っ張り出して両手に握り、いきなり助手席に座っていたA子の首を絞め、窒息死させた(殺人罪)[判決文 1]。
木村はその後、A子の遺体を助手席床上に降ろし、自分のジャンパーをかぶせて隠蔽工作した上で車を走らせ、遺体を包むのに適当な場所を探して走り回った[判決文 1]。午後7時40分ごろ、木村は海部郡立田村(現・愛西市)内で、A子の遺体を海老型に折り曲げてレジャーシートで包み、準備したロープの残りで十文字に縛って梱包した遺体を、車の後部トランクに積み込み、積み荷の発泡スチロールの魚箱で隠し、翌3日はそのままその車を運転し、鮮魚の配達の仕事をしつつ、A子の親に電話をかけて身代金を要求した[判決文 1]。殺害当日の2日午後8時15分、木村はA子宅に最初の電話をかけ、電話に出たA子の弟・父親らに対し「あんたのところの娘を誘拐した。明日までに3,000万円用意しろ。警察に連絡したら娘を殺す」と脅した[判決文 1][報道 2]。翌3日夕方、木村はA子宅に「西尾張中央道を一宮方面に向かうと『X』という喫茶店があるから、そこで待っていろ。そこに電話する」と電話し、A子の家族を蟹江町内の喫茶店Xに向かわせた[判決文 1][報道 2]。さらに、木村はA子の父親に身代金を持たせ、連絡場所に指定して呼び出した喫茶店Xにも電話し、「今からそこを出て、東名阪自動車道に入り、大阪方面(下り線)を走行すると、2つ目の公衆電話ボックスがある、その中に紙を書いておいてある。その通りにせよ」と、身代金の受け渡し日時、場所、方法などを指示した(拐取者身の代金要求罪)[判決文 1][報道 2]。A子の父親は、預金先の銀行数か所を回って集めた3000万円のうち、1000万円をカバンに詰め、義理の兄を装って捜査に当たっていた愛知県警察警部とともに、喫茶店Xを出て、東名阪道下り線(大阪方面)を走行するが、いったんは非常電話ボックスを誤って見過ごした[報道 2]。その後、2人は再び道を戻って非常電話ボックスを発見し、その中のメモに「ココカラカネヲシタヘオトセ ゴザイショサービスエリア マデイケ A子(被害者の実名)イク」などとあったが、後述のように捜査を開始していた特別捜査本部は金の投下をためらったため、犯人との接触の機会を失った[判決文 1][報道 2]。またこれにより、高速道路から身代金を投下させ、入手しようと試みた木村の計画は失敗に終わった[判決文 1]。2回目の指示は同夜にあり、今度はA子の弟(当時18歳の予備校生)を持参人に指名した木村は「A子宅近くの喫茶店Y前にタクシーを回すので、それに乗って中川区内のレストランZ前に来い」と要求した[報道 2]。途中から電話交渉を担当した義兄役の警部はこれを拒否し、会話を引き延ばしていた間、特別捜査本部は電話の逆探知に成功し、その後の電話が中川区内の、国道1号沿いの公衆電話ボックスからかかったことを特定したが、捜査員らが駆け付けた際には既に犯人の姿はなく、わずかの差で取り逃がすこととなった[報道 2]。木村からの電話はそれ以降、発信先は同県津島市内の公衆電話など計9か所から、翌3日午後11時16分頃までに計18回に上っており[判決文 1]、また木村は警察からの逆探知を恐れ、電話を最長でも4分前後で切るという用心深さも見せた[報道 2]。
3日午後3時30分頃、木村はA子の遺体を人目に付きにくい場所に隠そうと考え、三重県桑名郡長島町(現・桑名市)の木曽川河川敷の、芦の茂みの中に遺体を隠した[判決文 1]。しかし翌4日、木村は非常電話の見える場所に向かったところ、捜査用自動車らしき車が2台、東名阪道の方に向かうのを見た[判決文 1]。また、その直後の電話後、身代金受け渡し場所に指定した喫茶店の見える場所にいって様子をうかがっていた際にも、不審な動きをする車がいることに気付き、警察が事件を捜査していることを察知した[判決文 1]。また、自宅に電話したところ、借金先から留守宅に電話をかけられるなどして、多額の借金があることが妻ら親族に発覚した[判決文 1]。また、妻は木村の母親に対し、木村の借金のことを相談したため、木村の母親が自分に会いたがっていることを知った木村は、母と連絡を取り、4日午前10時30分頃に名古屋市内の喫茶店で会ったが、その際に母親から問い詰められ、多額の借金があることを告白せざるを得なくなり、こうなれば妻との離婚の話も出ると考え、直後に蟹江町役場に赴き、離婚届の用紙を手に入れた[判決文 1]。
警察が捜査に乗り出したことを察知した上、多額の借金があることが親族に知れた以上、身代金を入手して借金返済に充てれば、金の出処が疑われると考えた木村は、身代金要求をあきらめ、遺体を木曽川に遺棄しようと考えた[判決文 1]。ちょうど翌5日、木村は母方で妻や、定時制高校以来の親友とともに借金の善後策を協議しており、借金取りから逃れようと、知人のいる四国に逃げることなども考えたが、結論の出ないまま自宅に帰り、四国に行くための電車の時刻を調べようと時刻表を読んでいた[判決文 1]。木村はその際、身代金を日本国有鉄道(現・JR東海)中央本線春日井駅まで持参するように指示し、警察が捜査をしているならばその注意を春日井方面にそらし、その隙に遺体をまったく別方面の木曽川に遺棄しようと思い付いた[判決文 1]。同日午後、木村は自宅近くの公衆電話から計2回、A子宅に電話をかけ、応対した捜査員に対し「名古屋駅まで来て、中央線の5時34分名古屋発多治見行に乗って春日井で降りろ。プラットホームにいてもらえば、A子を一緒に車に乗せて向かう。身代金と引き換えにA子を解放する」などと嘘をつき、捜査員らを春日井方面に向かわせた[判決文 1][報道 2]。A子の父親は、義兄役の警部とともに同駅に向かったが、被害者・犯人ともに姿を見せなかった[報道 2]。その隙に、木村はA子の遺体を木曽川に遺棄することにし、蟹江町内で再梱包用に大きなブルーシートを購入した[判決文 1]。5日午後6時頃、木村は木曽川河川敷の遺体隠匿現場付近の空き地で、ブルーシートでさらに遺体を包み、ロープで縛って再梱包し、車の後部トランクに積み込んだ[判決文 1]。木村は遺体を遺棄する場所を探して走行していた途中、偶然見つけた工事等点滅灯のコンクリート製土台を拾い、遺体に結びつけて重石とした[判決文 1]。そして、東名阪自動車道下り線を走行して木曽川橋上まで遺体を運搬し、後続車両の途切れた4日午後6時35分頃、橋の上から遺体を投げ捨て、約10.8m下を流れる木曽川(水深約3m)に遺棄した(死体遺棄罪)[判決文 1]。その後夜になって、木村は2回A子宅に電話し、自分は春日井駅に行っていなかったにもかかわらず、「なぜ警察に連絡した。刑事が4人もいたぞ」などと詰め寄り、「明日の午前中連絡する」と言い、この日最後の電話を切った[判決文 1]。
5日午後10時40分頃、母方に赴いた木村は、集まった兄や叔父の前で、借金のほぼ全貌を告白し、その際に「借金から逃げるな」と諭されたため、借金取りから逃げるのを断念し、この日は妻の家に泊まった[判決文 1]。翌6日午後6時23分ごろ、木村は妻宅近くの公衆電話から、A子宅に最後の電話をかけ、「車が故障して段取りが狂った」などと言い、今後も連絡を取るかのようにほのめかしつつ、以降連絡を絶った[判決文 1]。なお、木村の借金は、5日夜から翌6日朝にかけ、木村の親族、義父の親族が互いに話し合い、分担して返済されることになった[判決文 1]。
このように、木村は刑事裁判で認定された計18回の電話とは別に、さらにA子宅に対し、4日午後零時58分頃から、6日午後6時23分頃までの計7回、身代金を要求する電話をしたが、これらはいずれも、木村が身代金入手を断念した後の電話であるため、刑事裁判では「身代金要求の事実は認められない」と認定された[判決文 1]。